星守る犬
2011年公開の映画「星守る犬」を観た。
好きとも嫌いとも言えないが、、、考えさせられたことをいくつか。
感動の涙というよりは悲しくてスッキリしない涙だったというレビューを読んではいたけれど、
なるほど確かに、私も悲しくて泣いてしまった。
あまりにもかわいそうで泣いたという見方もあるかもしれないが、
林の中で飼い犬に看取られながら野垂れ死んだ中年男性が、本当にかわいそうなのかはわからない。
ならば、息を引き取る瞬間に愛犬がそばにいた事で彼は報われたか?それもわからない。
ただ彼が選んだ道以外にも、どうにかする道があったことは確かである。その道を選ばなかっただけだ。
自らの意思で決めた生き方をして死んでいった人の人生が結果悲しいものだったから、それでかわいそうで泣くのか?
なんだかなあ。
きっとこれは自分の身勝手な共感性が生んだ涙であって、その本能と脳が受け取った情報とは別にして考えるべきなのだと思う。
何を伝えたいのかわからなかったという意見も目にしたが、少なくとも私は得たものがあったから。
奥津がクロの事を語るシーンの、(失うことを)もっと恐れずに愛すればよかったというくだりが、私にはなんだか後ろめたくて少し刺さった。
ありふれた話ではあるかもしれないが、
改めて奥津の目線を借りることで、素直に理解できた気がする。
人と人、人と動物といった限定的な愛じゃなく、一人の人間が一生のうちに使う愛のことが浮かんだ。
仕事や趣味なんかを愛するときにも、自分の決断の先に何かを失うことを恐れている。
臆することなく前へ進むことなど出来っこないのだけれど、
私にとって人じゃない何かを愛することは、人を愛することよりかは楽に思える。
決断を、自分が取る行動を、愛して生きていけたら素晴らしい。
そうしたい。
星守る犬という言葉について。
最終的におとうさんもハッピーも死んでいる。
一人の中年男性の色々あった人生を描いたところで最後は死ぬ。
いずれ失くすものばかりなのに何かを求めるということが高望みなのだとしたら、映画の最後の締めくくりも私はうなずける。
無理やりまとめたとは思わない。
今自分のしていることが死への恐怖と矛盾しているモヤモヤとか、仕方無さとか、まとめられない現実みたいなものがテーマのようにも感じる。
何かしらの答えを求めて観てしまうと物足りないのかもしれないが。
生まれてしまったがために死ななきゃならない羽目になるのに、
生まれるという選択肢以外はすべて自分で決めるしかない。
残されたのは、どう生きていくかというドデカい問題点だけだ。
私にとっての漫画やアニメや本やドラマや映画はヒントであり、答え探しではない。
自分の外にあるものを取り込むというだけで十分に意味のあることだと思っている。
だから作品としての批評なんかはできないが、
林の中で静かに死んでいった中年男性、そのそばで死ぬことを選んだ犬、過去を悔やみ新しい一歩を踏んだ青年、
そんな可能性の数々を知っただけでも心の襞が増えた気がする。