おでん
おでんとの向き合い方と母の話です。
中学時代は剣道部の厳しい練習に打ち込む日々で、それはもうとにかく腹が減って減って仕方がなかった。
早弁、買い食い、カバンにいつもカロリーメイト、白米おかわり、夜食にラーメン。幼少期は極度の少食がコンプレックスだった自分にとってあの3年間は特殊だった。
汗まみれのアザまみれ、暗い夜道をふらふらと帰宅してまず目に飛び込む母の料理。
疲れた身体にはガッツリと肉に米が好ましいけど、あぁ、今日はおでんか...なんて、当時は何の悪気も無かったけれど。
なぜ運動後のおでんには、あんなにテンションを下げる力があったのだろうか。鍋も然り。
まず、熱い汁をちびちび啜るフラストレーションに勝てない。おでんの長所である薄味には魅力を感じず舌が欲するのは中濃ソース。
当時の有り余る食欲に対して、おでんは淑やか過ぎたんだ。
高校を卒業してすぐ実家を出た。ほどなくして初めて自分でおでんを作り、衝撃を受けた。
手間がかかるのだ。素材ごとの下準備がこんなに必要だなんて思いもしなかった。
おでんを舐めていた。
う〜む、母はいつもこんな思いでおでんを作り上げ、ヘトヘトの我が子が食卓に座るタイミングで暖かいものを食べさす時間計算のうえで用意をし出迎えた果てが、がっかりした私の顔だったと言うのか。
おでんと母には、ひどく辛い思いをさせた。
思っていても口に出さない気遣いは家族などには無用と思っていた年齢だ。
もしかしたら今でも母の脳裏には私の声で「なんだよ今日おでんかよ」という心ないセリフがフラッシュバックする瞬間があるかもしれないというのに。
自分のような捻くれ人間には滅多に湧かない感情の一つ、純粋な申し訳なさをキッチンで感じた。
親の苦労は肉体も精神も少しは理解して、十分に感謝の気持ちを持っていたつもりではあったが、おでんに気づかせてもらったのだ。
親のことなんて頭で考えただけじゃ理解できないのだから、自らで少しでも多くの経験を積んで視野を広げて生きていく事が、結局は還元になるのかもしれないと。
ただ面倒だしその日以来一度もおでんは作っていない。