“忘れる”のゲシュタルト崩壊
はじめまして
ねきと申します。
ブログを書こうと思った理由はとりあえず書いておこうと思います、自分で忘れてしまいそうなので。
というかこのブログは、
忘れたくないことを書き残しておく というのが目的でして、
だからその目的を忘れないようにここに書き残したわけでして、
・・・つまりそういう理由なんですけどね。
忘れてしまうことって、正直何を忘れたかを忘れてますよね、忘れるってそういうことですから。
だけど時々思うんですよ。
忘れないって良いことだな
って思うんですよね。常識ですか?知りませんそれは。
例えばもし小学生の女の子がお兄ちゃんから変なあだ名で呼ばれて怒ったとして、
それを大人は「かわいいなぁ」なんてクスクス笑いながら、
微笑ましく見守っちゃったりするかもしれない。
でもそれ子供からしたら
「こっちが怒ってる時によく笑えんなお前」
って感じなわけですよ。
ニコニコしてねえで話を聞けってんですよ。
・・・これ、私の体験談なんですけどね?忘れてないんですよね、今でも。
だから子供が何かに真剣なとき、
必死にNOと訴えているとき、絶対に茶化さないようにしようって思うわけです。
「ヤダヤダ~>< ヤダも~ん><」
に見えても実際は
「ホンッッット無理だから、いや…なんで何回も嫌って言ってるのに伝わらん…言葉をご存知でない…?笑い事じゃないし理解する気ある?マジで…」
くらい本気で怒ってるハズなんでこっちもなるたけ本気で接するようにしたいです。
大人になると子供を別の生き物みたいに感じてしまうのって、心底もったいないと思うんですよね。
過去の自分すら他人に思えたりするくらいだから仕方が無いんですけど。
だからせめて少しでも、
幼少期の些細な気付きや鬱憤、心が晴れやかになった何か、
何でも良いから一つでも多く手札に持っておきたい。
忘れたくない
って思うことだらけです。
そうすれば少しは優しいおとなを目指せるかな?というわけで
忘れない訓練をこのブログでやります。早速電子機器に頼ります。自分の脳みそ信用して何かを成し得た試しがない。
覚えていること、思い出したこと、忘れたくないこと
の、ブログのスタートライン、読んで下さったかもしれない誰か様、心からありがとうございます。
ねき