脳 内

ひたすら雑記、大事なことを忘れないようにメモする場所です

こころのよるべ

今週のお題「2020年上半期」

 

 

半年あっという間だったなという感覚と、1月って何してたっけ?という感覚が同居していて不思議な気持ちです。

本気で思い出せなかったので、ほぼ機能していないスケジュール帳をとりあえずめくってみました。

バイトしかしてないなあ。

 

なんだか振り返るとうす味な生活でしたが、一応精神的な学びが沢山あったので一部書き記しておこうと思います。

 

 

一番は、自分の武器の大切さを痛感できたこと。

心だけは心の拠り所にならない(不安定で不確か)ので、

なにか明確な武器を持っていると絶対的に精神が楽ですね、っていう学びです。

 

小学生から習っており黒帯を取るまで続けていた少林寺拳法の教訓の中に、

”己こそ己のよるべ 己をおきて誰によるべぞ”

というのがありまして、

学んで以来この人生で一度たりとも忘れたことがないほど、私にとって意味のある言葉のひとつです。

 

頼れる自分、強い自分って一体なに?信念ってなに?

と幼いながらに色々と考えさせられた覚えがあります。

あの歳でこんな高度な学びの種を蒔いてくれた習い事に頭が上がりません。

結局、自分を欺かないように誠心誠意生きていけばいずれ頼れる自分になれるかな、本当の強さの意味がわかるかな、みたいに結論づけてたと思いますが。

 

そしてこの教訓を身にしみて再実感したのが、この上半期でした。

というか実際はこの一年なのですがまあこの際それはいいでしょう。お題に沿いたいし。

 

まず私の武器は何か、といいますと、芸術です。絵とか字とか。

これは物心ついたときから周りに認められてきたもので、したがって周りとの実力差を一番意識してきた分野になります。

昔から、絵しか取り柄がないから!って人前で笑って話すと、謙虚さと客観性を同時に得られた気分になって気が楽ではありましたが、

実際は世の中にごまんといる才能のある人達を意識しては自信をなくすばかりでした。

だけど私がいざというときに必ず頼り、ここぞというときに人の役に立つことができたのは、いつだって芸術でした。

 

己のよるべは、何も己の心でなくちゃいけないわけじゃないんですね。

心の強さに頼ろうとしすぎると折れてしまったり、根本的解決にはならなかったりするのが難しいところです。

私の場合、心に高いレベルの要求をしてしまっていたみたいで、すぐ手元にある武器の重みに気がつくのに少し時間がかかってしまったのだと思います。

 

 

ある時改めて自分の生きる道について考えた時(正直に言うとコレは去年)に見つけた道、私はやっぱりこれしかない、と思えた大体の方角がまず武器となり、

今自分がやっていることはすべてその道に還元しよう、という気持ちで生きられるようになったのがまず大きな変化でした。

 

しかし、その後始めたラーメン屋さんのバイトによって私の精神がどんどんすり減っていくこととなってしまい、遠い未来のかすかな光だけじゃ一日先は怖いままだということを思い知りました。

この上半期はほぼ気持ちが沈んだままで、明日が来るのを恐れるあまり良い睡眠も取れず、武器である芸術に対する意欲も減っていたのですが、

つい数日前にバイトをクビになったあと、

ふと、

私なんにも持ってない人間じゃなくて本当に良かった、

と心から思い、泣きました。

 

絵も字も音楽もなにもかも無視して生きてきていたとしたら?と想像した瞬間の身の毛がよだつ感覚、一生忘れない気がします。

 

周りと比べて落ち込んだって、自分の好きなことをやめずに、たとえ鞘にしまったままでもずっと捨てないでいた私を、心から尊く思えました。

レベルがどうのじゃないんです。これが得意です、この道で生きていきたいんですって言えるものがあるって、ものすごく恵まれていると今になって本当の意味で理解できたんじゃないかなと思います。

 

自分の生きる道に確信が持てたこと、そして自分の武器を持つことの大切さに気付けたこと、これらによって、一時期は時間の浪費とさえ思えたこの上半期も、人生における重要なポイントとして昇華できそうです。

 

バイトは昨日で最終日を迎え、仕事に対する嫌な記憶という負の遺産をのこしてしまったのは耐え難い事実ではありますが、なんとかひとつのストレスから解き放たれることができました。

そのタイミングがほぼ上半期の終わりだなんて、最高にキリが良い。

 

読んで字の如く、気を取り直して、2020年後半もぬるっとやり切ろう。

下半期の目標は「自分の趣味に更にアクティブになる」にします。

 

 

おつかれ上半期の私とみなさん!

 

 

 

ねき

 

 

 

穏やかに、冷静に

昨日、バイトをリストラされた話です。

 

詳しい事情はまだ聞けていないのでリストラと決めつけるのは早いのですが、

このタイミングという事はコロナの影響、だとするとやはりリストラという言葉がしっくりきます。

とりあえず今の気持ちを新鮮なうちに記しておきたい。

 

 

さきおとといの13日は、20歳の誕生日でした。

18歳、高校卒業と同時に実家(つまり日本)を出て、

海外で留学中だった兄と二人暮らしを始めてから1年と4ヶ月。

日本を離れてから自分が何を成しえたのか、そしてこれから先の人生をどう設計していくか、

これまでで一番沢山考えた歳を終えました。

 

20歳という節目(住んでいる国の法律では18で成人なのですが、産まれてから20年と思うとどうにも意識せざるを得ない)に、

まさにターニングポイントと呼べるような出来事が起きたので、

人生って私が思う以上に上手く出来てんだな…なんて思ってしまいました。

 

 

とはいえあまりに突然の知らせだったので、正直泣きたい気分です。

お金は必要ですから当然です。

そして何より、約8ヶ月ほど働いてきた割には上司と好い関係を築けていない自覚があったので。

経済面での理由でやむを得ず私の首を切る決断をしたとしても、

選ばれたのが自分であることに納得できてしまう。

 

パワハラとかいじめとかそういった事は一切なかったので理由は表現しづらいですが、

純粋に合う・合わないの問題ということにしておきます。

 

人見知りで、自信がなくて、口下手で、空気を読もうとしすぎる私にとって、

このバイトの日々はストレスでした。

相手の気持ちを察しまくり気を遣いまくった結果、心が疲れてうまく笑えず、

次の朝が怖いあまりに夜更しをしていたのだから、これをストレスと呼ばずになんと呼びましょう。

だけど相手のせいじゃない。そして、相手のせいにできない自分のせいでもある。

 

正直、なぜこんなに追い詰められていたのかというのは私にしかわからない問題ではありますが、

職場の誰かを嫌いだったわけじゃなく、そこにいる自分が嫌いだったという感じです。

 

相手のことを考え、自分のことを考え、考え考え考え、

いろいろな責任を感じ、プレッシャーに押しつぶされそうになってしまう。

 

そんな精神状態だったので、残念なお知らせですという書き出しのメッセージを読んだ時、驚いたあとにはホッとしていました。

自分が一度選んだことをやめるのはとても難しいので、

向こうから切ってくれた事が少し有り難いとさえ思ってしまうくらいです。

 

 

そもそも、他人と上手に共存するのが苦手ゆえに逃げるように日本を出た私にとって、

半径数メートル以内に常に他人がいる環境で働くのは思った以上に耐え難いことでした。

あぁ、人とのつながりからまたひとつ開放してもらえるんだな、と安心しています。

 

 

バイトを始めてから、抱えきれない量の感情を抱えてきたので、

本当は今ここに吐き出したくてたまらないけれど、うまく言葉にできません。

心は今にも泣きそうで、そんな弱い自分を許してあげているからこんなブログを公開するのですが、

 

私の頭は、残り2週間のシフトを乗り切ることと、その先の真っ白な将来に向かっています。

自分の精神衛生を脅かしていたモノとの唐突な別れによって、目の前の道が切り開かれたような不思議な感覚です。

満を持してスタートラインに立てるような気がします。

 

ずっと迎えるのが怖かった20代へついに足を踏み入れた、このタイミングで失業したことに、何か大きな意味を感じてなりません。

 

自分らしい20代にする、そのためだけに生きたいです。

なにもかもが自分次第なのはわかっているので、なら全力で楽しいものを求めようと思います。

そして今までもそうしてきたように、自分の正しいと思うものを信じて、

それでいて他人の意見に寛容でありたいです。

 

穏やかに、冷静に。

 

 

 

ねき

 

 

 

乙女心セルフスタディ

きのう見た夢の話です。

 

 

 

私はわりと、眠りから覚めたときに夢の記憶が無いことのほうが多いのですが、

珍しくバッチリ記憶がありました。

その上個人的に衝撃的な内容だったので、ここに記しておくのも良いかも?と。

 

何が衝撃的だったかといいますと、

今までの人生で経験のなかった感情を味わった夢だったということ。

まさか人生初を夢の中で、とは思いもしなかったし、

経験の無い感情がまさかこんなにリアルに夢の中に存在できるとは!という驚きが凄い。

 

 

その感情とは、失恋です。

 

雰囲気に流されてちょびっと恋愛をしてきただけの薄っぺら人間なので、

片思いというワードに関しては意味を存じているだけ。

自発的に恋に落ちたり、誰かに強く嫉妬したり、付き合いたいと思った経験がないので、もちろん失恋なんてしようがありません。

でも夢の中で失恋をしてしまった。これは私の中で革命的な出来事でした。

 

 

 

*1

 

 

 

夢の内容に触れましょう。

さすがに夢ですから不自然な展開、それに加え記憶は虫食いだらけですが無理やりまとめてみました。

 

 

 

まず、私の友人は恋をしていた。そしてそれを前々から知ってはいたものの、私は友人の想い人とは面識がなかった。

友人から常日頃聞いている話からして、彼女と想い人は全く親しい関係ではないと認識していた。

彼女の想いは強いが、アイドルに恋い焦がれるようなものであり、恋愛関係に発展するなど夢のまた夢だと彼女は感じている、と。

想い人について嬉しそうに語る彼女の笑顔は、脳裏にはっきりと焼き付いていた。

 

そしてある日、私はその想い人と出会う。

広い机に向かい合って座り、二人きりで会話をした。

予想外に彼は好意的に接してくれるので、こちらも男性として意識してしまう。

心なしか私を意識しているような態度で優しく照れながら話しかけ、何かさりげないプレゼントのようなものももらった。

何分、何時間かが経ち、まさしく”いいフンイキ”だったと舞い上がる私は、彼の姿を追い始めた。

 

彼の通っているという習い事の教室に自分も通うため、恐る恐る門をたたいた。

古風な建物は、天井は低いもののキレイな畳の部屋がいくつか繋がっていて趣と切迫感の入り混じった独特な空間。案内を受け階段を登り、小さな部屋に通された。

少し張りつめた空気感ながらも、彼の経歴なども知ることができ、ますます気持ちが高まっていくのを感じた。

 

私は確実に彼を好きになっていた。

会話をしていても、彼は私のことを特別視しているように思えた。 

 

 

とある日、私と彼が食事を共にしていた時、 そこには彼を以前から想っていたあの友人の姿もあった。

レストランのボックス席に私と、正面に二人が並んで座っている。

初めから私は察していたのだろうが、認めたくなかったのか途中までは気づかぬふりで食事を進めていたのだが、どうしようもなく心地が悪い。

目の前の二人から、明らかに男女の匂いを感じるからだ。

 

一目瞭然だった。

彼が私に見せていた表情を思い返しても比べ物にならないほど緩んだ笑顔で友人を見つめている。

友人もすっかり女の顔をしているから、親の馴れ初めを聞いたときのようなむず痒さに襲われる。

二人は男女の仲を私に隠そうとはしていない。彼は私を恋愛対象に入れてさえいなかったのだから当然だ。

 

私は、本当に彼が男になる時の顔を知らなかっただけだった。

独りで浮かれていた事実がひどく恥ずかしい上に、彼を追いかけていた間も私は二人の関係を知らなかったということにかなりのショックを受けた。

まさに大ダメージといった感じだった。

 

友人は彼と親しくないのでは無かったか?アイドル的存在だったはずでは?

いつの間に発展していたのだろう。

そんな疑問といらぬ想像だけが盛り上がるなか、彼女の笑顔を思い出すと、

彼が惚れるのも納得してしまう自分の気持ちもあった。

二人が結ばれたのは必然のような気がした。と同時にとてつもない苦しみが襲った。

 

思い返せば友人は私に対してすこしごまかすような話し方をしていたかもしれない。

恥ずかしい。悲しい。やり場がない。腹が立って仕方がなかった。

 

 

 

他にもいろいろな展開があったような気もするんですが、流れはこんな感じでした。

こんなにも強烈なストレスを感じた夢は久々でした。

しかも、くどいようですが私はいままでにこのような恋の切なさに出会ったことは無かったのでなおさらです。

 

色んな人の恋愛話を聞いてきた中で知恵だけはありましたが、実際に味わってみるとこんなにも辛いものなのかと驚愕しました。

厳密に言うと実際に味わったわけでは無いのですが…。

感覚としてはブラックジャックに脳の移植の手術をされてその脳の元の持ち主の生前の記憶が蘇ってしまったくらいの新鮮味とリアリティでしたよ。

 

夢って自分の脳にある情報が100%のはずなのに、現実世界で未知だった部分を開拓してしまうなんて。

なんだかすごくゾッとしました。

 

だけど、これから友達の恋話とか聞くときに、今までよりも「わかる~」って言ってあげられそうです。それは良いことかな。

 

 

ねき

 

 

 

*1:

過去に恋人から別れを告げられたときはそれなりに辛さはありましたが、失恋とは呼ぼうにも呼べない、情けない記憶でしかありません。

というのも、自分からは絶対に切り出さないぞと意地になったまま関係を続けてしまっていたから。

振らせることで、全ての責任を相手に負わせたことにしたかったんですよね、自分の中で。

あなたが勝手に惚れて勝手に冷めたんでしょって片付けたかった

だから失恋というよりは自己嫌悪と反省の方が大きかったです。

ひとりの人間と付き合っていたのに、私が向き合っていたのは相手の瞳に映る自分自身だったわけです。最低です。

もう二度と会いたくないけど、正直すまんかった(知らんがな)。

 

最近、焦燥と週7でLINEしてる

ただの日記です。

 

 

月曜日のバイト帰り、夜の9時半頃にひとりスーパーへ。

冷蔵庫の卵もしくは野菜が減ってきてプラス次の日のバイトが休みだと必ず買い物に行くようにしている。

 

以前からパッケージを見かけるたびに美味しそうだなと、いつか買いたいと思いつつもやや高めで買えずにいた棒付きアイスがあった。

ラズベリーソースが螺旋状に入ったバニラアイスをホワイトチョコでコーティングしているヤツ。日本のパルムみたいなパターンの。

 

そのアイスが、珍しく安売りしていた。ほぼ半額だったかな。

これはやっとチャンスが巡ってきた!我慢していて良かった!

と、些細なことだがそうとう喜び購入。

 

そして今さっき、箱を開け、ひとつ食べ終わり、夜中に食べる罪悪感も相まって非常に美味しく頂いた。

 

 

前回、今週のお題として「森永みぞれ練乳がけイチゴ」というアイスの記事を書いたにも関わらずまたアイスの話から始まったが、今回書きたいのはアイスの味のことではない。

 

アイスを食べながら考えたこと。

 

 

ここ数年の私の思考は、年齢もあって将来のことばかりだ。

 

学生という人生が恐ろしく不向きであると自負しているものの、

学校へ通うメリットも捨てきれなかったりする。

 

不得手なもの、希望とズレるものを極力避けるだけが良い人生だとは思っていないので、とにかく何かをする、ということには積極的でありたい。

本当のものばかり探そうとしても直ぐに見つかるはずがないのだから。

 

だけど、心が求めていない道へ行く決心などつくはずもなく。

目先の色んなことから逃げ続けているという自覚と、実像のない焦燥感だけが体の中をかけめぐり、目の前にモヤがかかる。

 

今この時、同じような葛藤を抱える同世代は何千万人いるだろうか?

それでも想像してしまうのはそんなお仲間のことよりも、自分より辛い人や、偉い人のことだったりする。

 

比べて比べて、自分にがっかりするだけだ。

なんて不毛なのかしら。

 

美味しいアイス一本のために私は働きたい、ふとそんなことを考えた。

 

小さな幸せを集めて細々と生きていきたいというのがかねてからの私の夢ではあったが、その夢の抱き方がいかに稚拙であったかを自覚した。

 

小さな幸せ ”で” いいなんて、失礼な話だ。

今の私にとって、小さな幸せと呼ばれることこそが人生のメインになっていて、

それらを強く渇望しているのだから。

 

私の夢は、存外とても大きくて、立派な夢であると気づいた。

 

これから先の人生、思うままに生きたくて、

まずはやりたい仕事を探すつもりでいたが、

死ぬまで仕事が見つからないという想像は、恥ずかしながらしたことがなかった。

 

なまじ器用であるがゆえに人とは少し違うフィールドで生きているような気になりがちな自分を一生懸命律して、身の程をわきまえ平凡を尊ぶように生きてきたつもりだったが、

いくつになっても自分の潜在的な驕りの発見というのは尽きない。

 

仕事、いつかは見つかると思い込んでたわ。

実際に探してダメで絶望する段階に至る前に、そんな未来を案じる発想力が欠けていた事への失望。

 

運良く安売りになった、お目当てのアイスを食べて、

あ~こんな小さな幸せのために生きられればそれだけでいいや。あたたかい布団とおいしい食事が一番だよな。

なんて浸っている数十分前の自分の頭を太平洋の大陸棚にぶつけたい。

 

それはあたたかい布団とおいしい食事を苦労して手に入れた人に許された思考だ。

今の私にはまだ、たいして大きな人生の失敗なんて無く、未熟そのもの。

ささやかな幸せすら遠のいてしまうことを、想像できない。

 

 膨大な量の”わからないこと”に押しつぶされそうになる。

 

 

10年後、50年後、安売りの美味しいアイスが食べたいならば、今をどう生きようか。

 

ただただ目先の幸せを求め続けていくことが、結果オーライな人生につながってくれるだろうか?

 

小さな幸せのために汗水たらしたい。

だけどそんな偉い人間に、なれそうにはないかも。

ひとつひとつの些細な行動を変えていく努力は、偉大で、こんなにも難しい。

 

鉛のように重く、海の底に沈んでしまった行動力を地上に引っ張り上げるには時間が必要だ。 

まずは明日、午前中に洗濯を終わらせられたら、自分を褒めよう。

 

 

時間は有限とよく言うけど、プレッシャーもめっちゃかけてくるよね。

バイトが週3よりも週4のほうが一週間早く過ぎるな~と心臓を抑えながらつぶやいてるうちに、カレンダーが6月から7月になってしまった。

 

だから現実から逃げたくて冷凍庫を開けてアイスを食べたのに、

むしろ現実に直面してしまうのだから夜というのは恐ろしい。

 

 

 

万が一この記事を最後まで読まれた方がいらしたら、疲れさせてしまったかもしれません。申し訳ないです。

お付き合いありがとうございました。

 

 

ねき

 

会いたくても会えない味

今週のお題「私の好きなアイス」

 

 

 

 

 

 

 

 

一生わすれないよ・・・

 

 

 

 

 

 

 

絶対に・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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森永みぞれ練乳がけイチゴ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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旨い…

 

 

 

 

 

 

 

 

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数年前の話ですがこの記事を見るまで生産中止を知らずスーパーを駆けずり回って探してました。

 

この味と似たような味のアイスはきっと探せば食べられる、けど、

そうじゃないんですよねえ。

 

このプラスチックの触り心地とか、フォントとか、まわりの霜とか、木のスプーンとか…

 

焼き鳥は串のまま食べたいのと同じで、味って舌だけで感じるものじゃないですもんね。

食べるという儀式そのものに美味しさが関わっているとテレビで観た記憶があって、本当にそうだなあとしみじみ思います。

 

 

 

このアイスの美味しさの理由は沢山あると思いますが、

まずサイズが丁度いい。溶けないうちに完食できるから。

 

 

それから味がしっかりついているところ。

練乳が梅の花びらのような配置でぽつぽつとかかっているのもポイントですね。

 

舌が「不均一」を感じるとき、美味しさを感じるらしいです。

食戟のソーマで読みました。

 

ラー油が浮いてる醤油とか、混ざりきっていない卵かけご飯とか、

バームクーヘンの砂糖コーティングもカステラのザラメもそうかもしれないなあ。

 

それでいうと、シュークリームの上には粉砂糖がかかっている方が断然テンションが上がるし、

日清焼きそばはソースが混ざりきらないように雑に炒めて白い部分を残して食べるのが好きです。

 

 

アイスの話から逸れてしまったので戻しますと、

つまり森永みぞれ練乳がけイチゴの美味しさの秘訣は、

 

 

みぞれの部分が持つ懐かしさ・均一に染みたイチゴシロップ=飽きない美味しさ

 

不均一に散らばる練乳=飽きさせない工夫

 

 

う~ん、シンプルな作りの中に洗練を感じた時には心が震えます。

まあすべて私の勝手な想像ですけどね。

 

 

 

ちなみに私は現在南半球在住のため季節は冬、アイスより鍋が恋しい肌寒さです。

雪見だいふく食べたいなあ…

 

 

ねき